2004年06月19日
思惟大橋から海方面を望む ( 岩手県 )
深い渓谷に二つの大きな橋が架かっている道を走ってきた。どちらも下を見ると100mはあろうか、深い深い谷底になっている。昔の人はこの谷を越えて歩いたのだそうだ。良く見ると土砂崩れをしてる所もある。昔は命がけで歩いたのだろうか。多くの物語が生まれたという。
たのはた物語
田野畑村は、三陸リアス式海岸の西側に発達する海岸段丘と、それに連なる山地からなり、全体的起伏は標高百米から二百米の丘陵地に位置している。
村内を東流する小河川は、いずれもみな深い浸食谷を刻み、その代表的渓谷として羅賀沢、松前沢、槙木沢、弥生沢などがある。
この渓谷が、かつては人々の通行を阻み、そのため田野畑村は陸の孤島と称された。
昔、田野畑村に赴任を命じられた県の役人や学校の先生が先ず出会う最初の難所が、深く険しい槙木沢。
「さて、行こうか、戻ろうか」と思案するのでこの坂を「思案坂」と呼んだ。
この坂をやっとの思いで越えると次は更に深く大きい松前沢が控えており、その往来の難渋さに職を投げ出して帰る谷ということでこの坂を「辞職坂」と呼んだ。
この二つの坂にまつわる逸話が数多く残されているが、それも今は昔語り、長い間の村民の悲願が叶い昭和四十年には「思案坂(槙木沢)」に全長二百四十米、谷底からの高さ百五米の鋼橋槙木沢橋が完成、昭和五十九年には「辞職坂(松前沢)」に全長三百十五米谷底からの高さ百二十米の鋼橋、思惟大橋(逆ローゼ橋としては全国有数の大規模)が完成、地域住民に大きな光明を与え、田野畑村を大きく変えた。
なお、思惟大橋の橋名は、教育の村、思考の村を象徴し、「人も心も運ぶ」という意味と深く思惟し続けていく田野畑村の願いを込めて命名した。
昭和六十一年十二月十四日
文 田野畑村 村長 早野仙平