2004年12月05日
たむぎやま日日新聞のホームページができました
新潟県中越地震について、新潟県北魚沼郡川口町田麦山地区の
現地情報をお伝えするホームページができました。
有名人が避難所を訪れたとか、何かイベントがあればマスコミは報道をしてくれますが、大きな動きが無い限り、現地の人(へ)の情報は、なかなか伝わりません。
たむぎやま日日新聞(後にたむぎやまときどき新聞に改名)は、田麦山地区住民のための新聞です。毎日、避難所や仮設住宅の各家庭へ全戸数、ボランティアが作成・お届けしています。情報は田麦山の皆さんのためだけに選び抜かれた情報です。
また、田麦山を離れている方々も、現地の情報を一番身近に伝えることができるメディアとして機能していければ幸いです。田麦山避難所で毎日配られている新聞が、インターネットを通じて全世界から見ることができます。
追記
日日新聞は、次第に復興が進む中、その後発行回数100号を重ね、日々お届けする(緊急)情報の減少とともに、「日日新聞」より、「ときどき新聞」へ変更されました。これは着実に復興に向けて進んでいることの現れであり、毎日届く新聞が発行されなくなるのは寂しいですが、とても喜ばしいことだと思います。
2004年11月24日
はるかなるふるさと田麦山
避難所になっている体育館で田麦山小学校の子供達が歌いました。
歌と写真のスライドショー
http://www.karamawari.com/tamugiyama/harukanaruhurusato.html
歌詞
http://www.karamawari.com/tamugiyama/harukanaru.html
2004年11月17日
11/12日報
今日は昼過ぎから雨が降っている。深夜の今の時間も雨は降り続いており、僕が寝ているテントに降り落ちている。雨だからか、被災者の方々もボランティアの方々もまったりしている。 ここ田麦山に常駐しているボランティアはおおよそ15名くらいだろうか。この人数で毎日3食の炊き出しや物資の管理、細かいニーズに対応したり、川口町のボランティアセンターに登録した日帰りや短期のボランティアの人達の力を借りて作業をしていく。あえて語弊を恐れずに書くと、会社で言えば長期の人は社員みたいな感じで動き、日帰りや短期のボランティアの人達は日雇いみたいな感じで動いている。もちろんどっちが偉いとかでなく、どちらも大切だ。
ここ川口町の田麦山地区は他の地区に比べれば小さくて、部落単位で生活共同体を形成し、なかなかよそ者を受け付けないような風土を持っている地区だ。小さい細やかな単発で一日で完結するようなニーズは、そのニーズな対するスキルがあれば誰でもできるて思うけど、もっとコアな部分で動くならば、1週間〜のある程度の長期で入って、まずは住民の方々に顔と名前を覚えてもらわないとうまくいかない。やはりお年寄りは保守的でなかなか打ち解けてくれない感じがあるが、子供達はすぐに友達になってくれる。子供は明るく笑い、仮設住宅が建つ前の校庭で遊び回っている。その姿を見ているだけで和む。子供達の中には、内面にため込んでいる子もいるかもしれないけど、あまりそういうのは感じない。そういう子は外に出てきてないのかもしれないけど、みんな明るい。逆に物が分かっている中学生高学年や高校生のいわゆる思春期の子供は、いろいろ考えているように見える。
今日は田麦山のごくごく一部の地域で水道が復旧したと聞いた。これで電気と水道が使えるようになる。ただし、下水道がまだ使えないので、水洗トイレも流せないし、台所で洗い物も出来ない。避難所での集団生活で疲れが出たり、ライフラインの一部が復旧した方々は体育館の集団生活に疲れ、自宅の車庫で寝たりしている。今まではほぼみんなこの田麦山小学校に避難していて集団生活をしていたけれど、これからは家に帰れる人と、帰れない人達の差が、これからどんどん大きくなってくると思われる。今までは六つの部落ごとに共同生活していたが、その中でも帰れる人と帰れない人がいる。今後は今までのコミュニティーが崩れ始め、今建設中の仮設住宅に入る人達の間には部落を越えた新たなコミュニティーが生まれるだろう。
2004年11月10日
11/9日報
昨日は田麦山小学校の文化祭(山の子いきいき発表会)が行われた。発表は避難場所になっている体育館のステージで行われ、床には体育館に避難している方々の毛布が敷かれたまま、他の教室などに寝ている人達も体育館に集まってみんなでなごやかに子供の発表を見た。本来の文化祭は地震の翌日の日に予定されていたけれど、結果的に文化祭の前日に地震が来たため、ずっと延期になってしまっていたのだ。ほとんど練習が出来なかったり、全校生徒60人くらいのうち欠けている子もいたけれど、楽器の演奏や劇、群読などが行われ、地元の人達の飛び入り参加の発表もあり、みんなで文化祭を盛り上げた。最後にはこの田麦山について唄った歌の全校合唱があり、田麦山の四季の風景のスライドショーと共に歌詞がOHPのスクリーンに映し出され、その歌詞の内容がまた、こんな時だからこそ、さらに心に届く言葉であった。みんなすごく元気付けられた。歌を聞いて泣いている人にテレビカメラを向けて「何で泣いているんですか?」って聞いていたマスコミはクズ。
この田麦山は他の大きい市町村とは違って、救援物資の取り合い、早いもの勝ちみたいな事とかも無いし、スピードはまったりと遅いかもしれないけど、田麦山として着実に自立を目指し、でもいろいろな問題を抱えながらも、しかし前向きに進んでいるように見える。からげんきかもしれないけど、ゆっくりと良い方向に向かっていっていると思う。逆に言えば、急いで家財の運び出しや家の復旧をしてもあまり意味がないほど、被害が大きいのだ。重い湿った雪が2メートルも3メートルも積もるこの地域は、今から家の建て直しをしても間に合わず、かといってそのままにしていると、半壊の家などは雪の重みでつぶれてしまうかもしれない。
昨日からやけにマスコミが田麦山地区に入ってきていて、うっとうしい。文化祭の画を撮っている時も被災者の方々が寝るのに使っている毛布を踏みつけて歩いたり、見ていてこちらが恥ずかしい。中から情報発信をするのはすごく大切だが、この流れや雰囲気、感覚を乱さないでもらいたい。
2004年11月05日
田麦山
新潟県は川口町にいます。川口町の中でも田麦山地区という所です。川口の町中から車で5分強、山を上った場所です。ここ田麦山小学校でこの地区のほとんどの方が避難生活を送っています。今日現在、約350人が体育館や教室にマットや毛布を敷いて生活しています。この辺りの地区では電気はほぼ復旧していますが、ガス、水道、下水のライフラインが断絶したままです。なので家屋の被害が少なく家に帰れる人でも、家に帰って普段通りの生活は出来ないのです。
基本的に毎食の炊き出しをしています。一回に400人前の食事の用意や援助物資の仕訳作業など、被災者のサポートをしています。
2004年11月02日
11/01日報
今日の川口町の状況について。
食料や生活物資はまとまった単位で入ってきているのでほぼ足りている。被災者の食事は自衛隊が炊き出しをしている。今のところはその炊き出しのお手伝いがメインらしい。
川口町には30日にボランティアセンターができたけど、うまく機能していないのかも。今後の作戦とタスクリスト、人員配置などの効率的な事務作業、そして何よりも、それを引っ張るしっかりしたリーダーが必要。
地元の人と話をすると、各人のいろいろな思惑や政治的な理由により(?)内部はいろいろごちゃごちゃしているみたい。閉鎖的な部落感覚がそうさせているらしい。
